オンライン・長崎・長与・時津方面で英語教室をお探しの方
2011年10月6日

ついにこの日が来ました。彼は逝ってしまいました。
以前にも紹介しましたが、彼のStamford Universityの学位授与式でのspeech(何度も授業で使っていますが)は、自分が到達した心境をダイレクトに学生に伝えています。「人は死から避けられない。だから自分の信念に従って生きてください。自分がやりたいことが見つからないなら、あきらめないで探し続けて。」

アメリカに住んでいるときに”Live a full life”とよく言われていました。物事をさっさとやらなずにぎりぎりのところまで行動を起こさない私は、この言葉を横目で見ていた感じで全く行動力がなく人生の半分以上を無駄にしていました。アメリカの人は本当に行動力がある人が多く人生を積極的に謳歌しているように当時の私には見えました。そしてSteve Jobsはまさにfull lifeを生きたお手本のような人です。

ずいぶん前に同時通訳の授業を受けているときに、スピーチ・コミュニケーション学者で日本の同時通訳の草分けである故斉藤美津子教授が、”You have to have the determination!”と、物事をなそうとするときには”determination”、つまり「やろう、やりとげよう、という強い意志」を持たねばならないということをおっしゃいました。これは、私が今しっかり受け継いで生徒さんたちによく言う言葉です。

Steve Jobsは本当に”strong determination”を持って実行した類いまれな才能を持った人でした。そして世界中の様々な人の生活を楽しく素晴らしいものにしました。テクノロジーとアートを融合させ、スタイリッシュで機能的でリーズナブルな価格のプロダクトの数々。そして最終的には消費者が持ちたいと思うものを次から次に開発し続けるという偉業を成し遂げました。

出生直後に養子に出され、大学は中退、20歳で起こした会社が10年後には大企業になるも理事会から解雇され、Pixarのアニメ映画で大成功し、NeXTという会社も設立し現在のMacのベースになるコンピューターのwebサーバーなどを開発して成功し、AppleがNeXTを買収、Appleに戻ることになるという彼の人生もアップアンッダウンがあり全てがバラ色の道ではなかったことも多くの人の共感を得るかもしれません。その人生に一貫しているのが彼の強い”determination”です。

彼が気に入っていたという言葉は、”I skate to where the puck is going to be, not where it has been.” 

以下は今日のCBS Newsからのクリップです。(最初にコマーシャルが入ります)

(rough video script)

Steve Jobs seems to know what we wanted before we knew it ourselves.

In 1981, long before most people had ever touched a personal computer, he told CBS News he was certain computers would become an essential part of our lives.  
It’s not gonna happen at once.  It’s just gonna be very gradual and very human and seduce you into learning how to use it.
He started building his computers in his parents’ garage.  Founding Apple in 1976 at the age of 21.  At the time, when operating a computer was anything but simple, his goal was to build a machine for everyone.  
In 1984, Apple boldly announced its first Macintosh with an ad promising the freedom from convention.  The sleek design and ease of use led the way in making computing mainstream.  
Innovations really are driving the technology right in the center of our lives.  
In 2001, Jobs brought us the iPod changing the way we buy and listen to music.   
I think if you actually see one of these things, you will be blown away with how beautiful it is and how thin it is.
Apple was no longer just a computer company.  It’s online iTune Store, was on its way to becoming the world’s biggest music retailer and Jobs seemed to rebel in his role in the music industry leader.  But Jobs wasn’t finished shaking up established industries.  Cell phones were next with the introduction in 2007 of the first iPhone.
iPhone is like having your life in your pocket.  It’s the ultimate digital device.
In 2010, he unveiled the iPad and tablet computers became the next big thing.
It’s so much more intimate than a laptop and it’s so much more capable than a smart phone.
Jobs had a liver transplant in 2009, but barely slowed down.  Just after the second medical leave in early 2011, he sat next to President Obama at the dinner with Silicon Valley’s top leaders and the ailing Jobs was still looking far into the future when he appeared at the Cupertino City Council meeting to unveil plans for Apple’s new headquarters.  
It’s pretty amazing building.  Jobs dedication to style and design made Apple’s products, from computers to smartphones, the standard other manufacturers often imitated had seldom matched.  
You liked it so far?  Well, I’ll try not to blow it.  
In the summer of 2011 by stock market value, Apple passed Exxon to become the most valuable company in the world.  Even as his health deteriorated, Steve Jobs seems as competitive as ever, always pushing to keep Apple at the top.
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2011年10月5日
いつも仕事が終わってかけつけるRさん。今日はアメリカから来た来客の会社案内を担当されたそうですが、なんとか無事終了したもようです。楽しいDawson先生とのリアルアクションも交えてのビジネス英語のレッスンはいつも楽しく身に付くものばかり。その後のMiwakoとのTOEICレッスンでは耳と語彙力、ビジネス文書力を鍛えています。この調子で行くとあと数年で海外赴任になっても大丈夫な感じですね〜。
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2011年10月3日

もとZenzeroのスタッフのAsukaちゃんがbakeryをオープンしました。
彼女はZenzeroのわりと初期のウエイトレスの一人で電卓の機能を全部使えるという優れた逸材で、すぐに採用が決まりました。淡々と一生懸命仕事をするタイプで、お客様への気配りも細かく、早番で早く帰っても、閉店する10時頃に店にもどって「宅配の箱があまり残っていなかったから」と箱作りにさりげなく来てくれるような子で本当によく働いてくれました。
しばらく働いてまだ日本語があまりできなかったLucの英語がだんだん理解できるようになり、ある日「私ワーキングホリディでNew Zealandへ行きます」と旅立ちました。
その後将来の夢がNew Zealandで見えたと帰国し、日本で一番おいしいコーヒーを淹れるというお店に修行に行き、さらに大阪の調理師学校へ入学しプロの道へ。卒業後福岡のパティセリーでさらに腕を磨き、自分のお店をオープンするに至りました。
お店は長崎市のKTNギャラリーの真ん前の五島町にあります。
シンプルだけどとってもおしゃれなお店です。ハードなタイプのパンが中心で、とっても都会的でおいしいです。コーヒーも絶品で、何年ぶりにこんなにおいしいコーヒーを飲んだかしらと思うくらいおいしかったです。

正統派のおいしさを追求したパンとコーヒー。ぜひみなさん行ってみてくださいね。
ちなみにお店の名前のBreadとEspressoの間にあるアルファベット’A'は二人の名前、AsukaとAkiraの頭文字だそうです。
朝の7時半にオープンですが、3〜4時ころにはほとんど品切れになるので、早い時間に行ってみてください。火曜はお休みです。
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2011年9月28日

今まで住吉教室には大きな部屋がふたつだけでしたが、みなさんがレッスンを受けたい時間帯は集中していてスケジュールするのが大変でしたが、ついに一部屋増やす工事をしました。
ドアがガラス張りなので個室だけど閉塞感がなく明るいので大変好評で、子供たちの中には先生たちが工事をしたと思っている子もいたようです。壁には特別の防音処理がしてあり、Listening trainingをやっている部屋のとなりで子供たちがレッスンをしていても大丈夫です。廊下のライティングもセンサーライトにしてエネルギーを節約するようにしています。
この住吉教室は大変変形している間取りなので空間の有効活用が難しく、生徒数が増え始めたときに移転も考えましたが、立地のよさと大家さんの好意で留まることにしました。
明るくて清潔感のある空間でレッスンもますますはかどっている様子です。
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2011年9月26日
またまた以前の生徒さんが遊びに来てくれました。
彼女は中2のとき、まだエスタミネー英語教室が長与ニュータウンにあったときにレッスンを開始しました。おとなしいけれど欠席もせず、しっかりと授業に参加していました。その後教室が現在の県道33号線沿いに移転してからも、学校が北陽台高校だったため、学校帰りに歩いてレッスンに通っていました。
彼女曰く、あの頃(高校時代)は、英語がわかりかけて話すのも楽しくエスタミネーに行くのが心待ちだったそうです。高校時代後半は留学するという強い決意のもと、自分のお小遣いを使ってでもひとつでも多くのレッスンを受けようと、本当にがんばりました。会話だけでなく、英語のessay writingや、readingのクラスも受講し、メキメキ上達していきました。
その努力のかいあって、AustraliaのBrisbaneにある工科大学に無事入学を果たし、卒業。現在もBrisbaneに住んでいて、フルタイムで金融関係の会社に勤めています。
気取らす、気負わず、とっても自然体な姿が素敵でした。これからは、社会人としてさらに人間を磨いてほしいですね。
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