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2011年1月23日

この1,2年アメリカのreality showであるSo You Think You Can Danceを見ていますが、ダンスのすばらしさを再認識しています。

ロスアンジェルスに住んでいたころは、全くリズム感もなく踊りもへたな私ですが、よくみんなと踊りに行っていました。LAでは週末は”Let’s go out somewhere!”ということで、毎週話題のレストランに行ったり、ライブコンサートに行ったり、劇を見に行ったり、セイリングや乗馬、パーティと週末にやる事には事欠きません。ダンスにいくのもそのひとつで、私たちがよく行っていたのは、Wilshireの南にあるフランス系のavant gardeなディスコや、downtownのundergroundなところ、そしてHollywoodのsoul系やcontemporaryなところでした。ただ私は踊りに行くというよりは、行くところのthemeに合わせてふだんと違うファッションを思いっきり楽しみ、友達と楽しい時間を過ごすということが目的で、上手に踊ろうなどはあまり思ったこともありませんでした。(というか踊れない

UCLA時代のあるときマレーシア人の友人が学校のダンスサークルの発表会に誘ってくれたことがありました。そのとき踊る彼を見て、その情熱、技術、そしてエンターテインメント性などに初めて感動を覚えました。その後キャンパスのカフェテリアで知り合ったUCLAの大学院に行っている2人の日本人女性、ひとりは北大の農学部出で、きのこの研究ばかりをしていたという人、もうひとりは大阪大学の社会学部を出た人、がダンスの勉強のために大学院に来ていてあらためてダンスって大学院の学科にもなるようにすごいんだと思いました。「科目は解剖学からあるのよ」って言ってましたが、ふたりとも「ダンスがやっぱり一番好き」ということで、本当にがんばっていました。ひとりの子のアパートには一面に鏡が貼ってあって常に自分の生活にダンスがあるという感じ。もうひとりの子は英語の論文が苦手だということで、一緒にお寿司屋さんでバイトしていたこともあって、論文作成の手伝いもしてあげました。

世界中に踊りは人類の歴史とともにありますが、人間は最終的には感情の動物で、ダンスは文字よりも、言葉よりも内なる心のささやきや叫びを表せる手段です。ただリズムに合わせてからだを揺することはできても、あのSo You Think You Can Danceの出場者のように、あれだけ精巧な技術をマスターする過酷な練習をし、情熱を持って表現するダンスは、何よりも雄弁で見る者に感動を与えます。
それとともに、あの番組はまだ世に出ていない人たちの登竜門のようなものですから、夢を持っている全ての人に感動を与えるのでしょう。Yes, if you believe in yourself and work very hard for your dream, you can achieve more than you have ever imagined!

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小学生がクラス待ちの間、迷い猫がやって来ました。あまりにも「ニャーニャー」泣くので、おなかがすいたのかお母さんを探していたのか、それともこの日はとっても寒かったので「寒いよ〜」と言っていたのかな?クラスが終わった後も子猫ちゃんが気になってなかなかみんなお家へ帰りませんでした。でもその日の夜の中学生がなんとこの子猫が気に入って、お迎えのお母さんの同意を得てお家に連れて帰りました。子猫ちゃんも新しい家族と暖かいお家ができてよかった、よかった♥

ところで、火曜日は長崎大学病院へおじゃまし4月からの薬剤部でのクラスの打ち合わせがありました。久しぶりに大学病院を訪れましたが、新しい玄関ができており以前と違う雰囲気でした。またLawsonがあるあたりは交差点のようになっていて、吹き抜けで明るい光が降り注いで大変いい空間でした。びっくりしたのが、5分くらいそこに立っている間に、次々と生徒さんたちや生徒さんの親御さんたちに出会ったことです。あんなに大きな建物の中に何千人の人がいる中で、小さな英語教室に関係がある人たちにあの瞬間に会うなんて驚きです。医学部の生徒さんたちはそれぞれ救急部や泌尿器科、心臓内科などいろんなところで研修していたようです。

現在大学病院では「若手医師のためのプレゼンテーションスキル」というクラスを展開していますが、今度は薬剤部ということで、また全く別の内容になります。大学病院ということもあって、外国人の患者さんも来られることが多いことと思います。みなさん必ずしも英語が母国語ではないと思うので対応される薬剤部の方の苦労もあるかと思います。また、窓口での対応だけではなく、入院患者さんにも服薬指導などが必要で大変なお仕事だと再認識しました。こちらも気を引き締めて薬剤関係のことを勉強したいと思います。

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2011年1月18日

土曜日は子供の新年会でした。
日頃違うクラスで勉強しているお友達ともゲームを通じてすぐに仲良くなり、みな
とても楽しい時間を過ごしていました。They listened so well!!
新しい年ということもあり干支にちなんだゲームも盛り上がりました。子供は「干支」と日本語で聞いても??といった感じなのでしょうが、ゲームの最後にはすっかり理解したようで驚きました!中にはAre you a rabbit? と聞いて私の年齢を計算する生徒もいましたよ(笑)

その後も先生が準備した楽しいゲームをどんどんクリアし、お待ちかねのケーキとホットチョコレート♪♪おかわりしてもいいと分かると突然Please! Please!とカップを右手に持ってルークのところへ行く生徒が続出!やっぱりみんなきちんと英語を話してお願いしてました。Good job☆

久しぶりに行った子供の新年パーティーでしたが、もう次回の予定を尋ねる生徒も^^
みんな大満足のパーティーだったのではないでしょうか?次回は毎年大人気のサマーキャンプが夏に計画されています。(n)

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2011年1月17日

今年のGolden Globe Award(ハリウッド外国人記者クラブ主催)は、やはり去年暮れのTIME紙の「今年の顔」の表紙を飾ったMark Zuckerbergが始めたFacebookの話しを綴ったThe Social Networkが映画ドラマ部門の作品賞、監督賞、脚本賞、作曲賞に輝きました。早く見たいね。

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2011年1月14日

View from the Window at Le Gras. Due to the 8 hour exposure, sunlight illuminates the buildings on both sides. 1826
フランスのニエペによる8時間太陽光に露出してできた世界最初の写真といわれるもの

過去10年いろんな形で古写真の解説文の翻訳にかかわってきました。

古写真と呼ばれるものは幕末明治のもので、1848年に上野彦馬の父俊之丞が日本で初めての写真機を購入し、それは島津藩に売られるのですが、子の彦馬が後に長崎大学医学部の創始者となる(以下抜粋)『ポンペ・メーデルフォールトの塾「舎密試験所」で舎密学(化学)を学んだ。彦馬はポンペについて化学を勉強中、蘭書に写真術について解説した項を発見し、写真術を知らされ並々ならぬ興味を覚え、研究に着手した。熱意あふれる教育者であったポンペは、彦馬ら門下生の望みにこたえて一緒に湿板写真の研究を行ったと伝えられている。彦馬は、塾で知り合った伊勢藤堂藩の堀江欽次郎とともに共同研究を始め、苦難の末ついに湿板写真による撮影に成功した。弱冠二十歳の開眼であった。』(長崎大学薬学部「長崎薬学史の研究」より) 

最初「舎密試験所」や「舎密学」など聞き慣れない言葉があり、何だろうと思っていたのですが、それが「化学」を意味する当時の言葉だとわかりました。漢字は意味があるので通常その意味を察しますが、この「舎密」という漢字がなぜ「化学」を意味するのかがピンとこなかったんですが、Lucとの会話より「シェミィ」という音はフランス語では「化学」という意味なので、その音を漢字で表したのではないかと思います。

英語で写真の現像をすることをdevelopと言いますが、この言葉の原義は「何かが生まれる、大きくなる」ということで、写真術に関する意味は to treat with chemicals so as to render the latent image visible(隠れているイメージが見えるように化学物質で処理する)ということになります。

実を言うと高校のときは形だけは写真部に属していました(幽霊部員)。最初に暗室で写真を現像するのを見た時に、いろんな薬品を使ってはじめて写したものが浮かび上がってくるのに不思議な感動を覚えたものです。

現像(げんぞう)とは、銀塩写真において、撮影された写真映画フィルムや印画紙を薬品で処理して映像潜像)を出現させることをいうが、広義には定着までの工程を指す場合もある。

とwikiにあるように写真と化学は切り離せないものです。

そして、先日のあるクラスの読解にあったのが、ルネッサンス期の画家の絵の具と化学との関係。
この写真は昔ヨーロッパでウルトラマリンという群青色の絵の具を作るときに使われた lapis lazuliという鉱物です。(It’s so beautiful!)

読解資料より抜粋

……During the Renaissance era, there was no clear distinction between the role of the “artist” and the “chemist.”  Thus, famous artists such as Leonardo da Vinci and Rubens were not only great painters; they also developed their own recipes of paint.  However, this changed in the 18th century when the role of the “artist” was distinguished from that of the “chemist”– it was only the  chemist that developed new color formulas.  One such color chemist was Diesbach, who, in the early 1700s, created Prussian blue, the first synthetic blue paint that could be used in place of ultramarine.  Renaissance artist usually kept their color recipes as craft secrets, but chemists sold their colors to as many people as possible.  It is from this point onward that color begins to saturate our daily life, with the “chemist” continuing to develop even more new colors, such as bright shades of yellows and greens…..

ルネサンス期には「芸術家」と「化学者」のはっきりした区別はなかった。従って、レオナルド・ダ・ビンチやルーベンスのような著名な芸術家は、卓越した画家であっただけではなく、自分独自の絵の具のレシピを作り上げていた。しかし、18世紀になると「画家」の役割と「化学者」の役割が分けられたときにそうではなくなった。つまり化学者のみが新しい色の調合を開発したのだ。そのような化学者のひとりがディースバッハで、1700年代初頭にウルトラマリンの代わりになる初めての合成の青、プルシアンブルーを作った。ルネッサンス時代の芸術家は色のレシピは秘密にしたが、化学者は自分たちが作った色をできるだけ多くの人に売った。この時点から、「化学者」が明るい黄色や緑などさらなる新しい色をどんどん開発し続け、われわれの日常に色があふれだした。

まわりを見渡すとお料理にしろ、陶芸にしろ気づいてみるとみんな「化学」しているんですね。

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