かつてIELTSのレッスンを受けてイタリア留学を果たしたAちゃんと、エスタミネーのハロウイーンパーティなどを手伝ってくれたスエーデン出身のAちゃんが大学卒業ということで長崎を離れるので最後にちょっと一緒に出かけよう!ということで富川渓谷、波佐見、有田、西海橋などぐるっと回って来ました!
若いってすばらしい!二人のこれからの人生に乾杯!
この映画がアメリカで公開されたのが12月の末で、1月からこの映画制作の舞台裏の映画プロデューサーたちのストーリーを教材に数人の中高生と勉強していて、長崎でも公開されたので早速行ってきました。
19歳の無名のBob Dylanがミネソタからヒッチハイクしてニューヨークに出てきた1961年から、スターになっていく1965年ぐらいまで過程を描いたもので、多くのミュージックシーンがあってなかなかよかったと思いました。
ビートルズやクイーンのファンは多いですが、私の10代はBob Dylanの方が影響が大きかったと思います。
ニューヨークに着いたすぐ後のシーンは、彼の憧れのウディ・ガスリーに会いに行くというもので、ハンティントン病で入院しているウディと彼を大いに尊敬しているピート・シーガーに自作の”Song to Woody”を歌うというもの。
すでにDylan の才能が見える場面です。
私がアメリカに行ったばかりの時に、ウディ・ガスリーの息子が書いた有名な曲にちなんで名付けられたパシフィックコーストハイウエイにある”Alice’s Restaurant” というところに行ったことがありましたが、私はその時までウディ・ガスリーもガスリーの息子アーローも全く知りませんでした。
この映画は歌のシーンがとっても多くて私は大いに楽しんだのですが、内容はみなさん見てのお楽しみなので詳しくは書きませんがひとつ、ピート・シーガーの教育ショーの場面で素晴らしいミュージシャンの演奏があったのですが、なんとその人はMuddy Waters(マディ・ウーターズ)の息子でした!
マディー・ウオーターズという名前を聞いたことがない人も多いかもしれませんが、素晴らしいブルースのミュージシャンで、ロスアンジェルスで彼とエタ・ジェイムスのライブに行ったことがあってとても感動したのを覚えています。
ちなみにこのシーンは、Bob Dylanが映画の脚本の自分の部分を全部声に出して読んで、監督のマンゴールドにひとつ起こり得ないシーンを入れるべきだと言ってできたのがこのシーンだそうです。
久しぶりにBob Dylanの音楽をたくさん聞いて、私の青春時代がよみがえって楽しい気分になりました:)
If you get a chance, please check it out!
もう長いことエスタミネーに通ってきてくれていて、以前ブログでも紹介したMasaさんが、医療が届きにくいアフリカの世界最貧国マラウィで、持続可能な医療の仕組みを構築し、妊婦の死亡率、検診率を劇的に改善させようとクラウドファンディングを始めました。
皆様のご支援どうぞよろしくお願いいたします!
最初にエスタミネーに来られた時からアフリカのいろんなところへ赴きブルーリ潰瘍を治したり多くの方の検診をしてこられたのを知っています。
アフリカでの仕事のために英語が必要と、週に2回個人レッスンを受けておられています。
何事にも素直に真剣に取り組まれるMasaさんにスタッフ一同はとてもファンになりました。
彼の夢の実現に、皆様のお力をお借りできるとこんなに嬉しいことはありません:)
小学校5年生からエスタミネーに通ってくれ、東京の超難関大学に推薦入学した後もエスタミネーのオンラインコース、ニュースヘッドラインを週に4日4年間継続してくれたMちゃんが、大学卒業前に帰省しクッキーをたくさん持って寄ってくれました:)
お母様の友人がエスタミネーがベストだと言って入学したそうです!
お母さんの友人さん、ありがとうございます!
最初の先生は、カナダ人のIan、その後はアメリカ人のWesley、イギリス人のLee、アメリカ人のCristine、マレージア人のDanといろんな文化背景をもつ素晴らしい先生たちのレッスンを受講しました。
最初はあまり英語が好きではなく、なぜ英語を勉強しなければならないのかと思っていたそうですが、2年ぐらい経ってから英語って面白いなぁと思い始め、先生たちと話すのが楽しくなったそうです。
最後の4年間は週に4日、ほとんど欠席なくオンライン講座のニュースヘッドラインを受講しました。
今回は画面越しではなく実際にエスタミネーで対面でいろんなことを英語で語し、その流暢さにスタッフ一同感動しました!
専攻は教育学でしたが、大学では英語のクラスをたくさんとって、特にディスカッションのクラスが今まで自分が考えたこともないトピックがたくさんあってとてもおもしろかったということです。
日本人だけど普通に英語がネイティブのように話せる人など、大学には本当に様々なタイプの人が各地から来ていてそれもいい刺激になりました。
Mちゃんに、今英語を勉強しているみなさんへのメッセージを聞いてみました。
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間違っても大丈夫!
私も先生たちと英語を話すときに山のように間違いました。でも話すことが一番の練習法です。間違えることで気づきがあり、より良いスピーカーになることができます。
さらに、就職活動をしているときにはこの英語力のおかげで選択肢が大変多くなり、幅広い分野から選ぶことができました。
高校卒業後、4年間週に4日20分のオンラインレッスンを続けました。このレッスンは楽しくまた知的刺激の多いものでした。
時の話題や、国際ニュースや政治、科学、コメディに至るまで様々な話題に触れそのことについて語る機会がたくさんあったことは私の英語力アップにとても役に立ちました。
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Mちゃん、大学卒業おめでとうございます!
また、就職も大手に決まりおめでとうございます!
これからの活躍も遠くから応援していますね:)
Great acts are made up of small deeds. ーLao Tzu
(偉大な業績は小さな行為の積み重ねによって成し遂げられるー老子)
お帰りなさ~い!
以前にもブログで紹介しましたが、A ちゃん、半年のイタリア、ベネチアにある国立大学カ・フォスカリ大学留学から帰国しました。
最初の留学がイタリアなんて羨ましすぎますね~!
本当に実り多い時間を過ごしたようです。
ーイタリア6ヶ月、ズバリどうでしたか~?
最高!一言で言ったらみんなフレンドリーでした!
ず〜っと誰かと喋っている感じでnever lonely
ー大学はどうでしたか?
勉強面は本当に大変でした。
ーどんなクラスを取ったの?
こちらの大学では経済学部なので経済のクラスを取っていたんですが、イタリアの大学では何を勉強しても良かったので、言語学を中心に取りました。
例えば、一般言語学で音声学、フォネティックス、イタリア語、単位はとらなかったけれど英語の古い映画を見て分析する社会学理論とか、柔軟に自分の学びたいことを選択できました。
授業は英語で、普段のコミュニケーションは自分のユーモアと喋り口調で全然問題なくたくさん友達ができました。
授業ではアカデミックの専門用語とかも出てきて、さらに新しい分野を勉強しているので最初はわからなすぎて、授業を選ぶところから、これは難しそうだから無理だとか・・・それで、学校が始まって最初の3日目ぐらいの時に号泣しました
ーToo much になったんだね・・・無事乗り越えられたのは友達の力?
ルームメイトと同じナイジェリアとイタリアのハーフの子がいて、「大丈夫、君だったらできるよ!」って励ましてくれました:)
すごく違うなぁって思ったのは、
日本人の子もたくさんいるんですけど
「でもできないことは仕方ないからさ・・・」や「自分ができること探したらいいよ」の方向
でも向こうの子達は、
「大丈夫!できるよ!」「あきらめたら絶対ダメだよ!」
というアドバイスがすごく多かった。
ーそれだけでもすごい収穫だね〜
大変だったけど乗り越えて、自分の糧になりました
みんなめちゃ遊んでいたけど、私は図書館に行きまくって
単位はとらなくても良かったんだけど
なんのためにわざわざ勉強しに行ったのかと思い
私はやる人だからとなんとか頑張ったら単位もちゃんと取れました
大学のキャンパスは長崎大学とは全く異なりベネチアの島のいろんなところにありました。
いろいろとあちこち歩き回りました。
基本徒歩で、観光地など多くの人が行くところには水上バスがあり
毎日観光気分で登校しました。
住んでいたのは寮で、基本シェアで二人一部屋でした。
ルームメイトは同じ時期に来た子でトルコ出身で
英語の先生になりたいと言っていて教育系のクラスを取っていたようです。
部屋はホテルみたいなところで広かったです。
ホテルが寮になっていた感じで、内装はビジネスホテルのようでした。
食事は基本自分で作っていました。
というのも物価が高すぎてカフェに行くとかがあまりできず
スーパーのクロワッサン買って学校に持って行って公園で食べる
とかそういう生活をしていました。
夜だけしっかり作って、朝とお昼は軽く済ませるということをしていたら
食べる量がだんだん減っていって、お腹が空かなくなってめっちゃ痩せました。
ー向こうのスーパーはどんな感じ?
イタリアは出来上がったご飯や惣菜が本当になくって、
ちゃんと自分で作るという感じでした。
お惣菜はほとんどなくて、あってもとっても高い!
お弁当みたいなのはなくて、
サンドイッチかパンぐらいしか選択肢はありませんでした。
そして、物価はとても高かったです。
ー授業がない時の楽しい時間の過ごし方は?
ベネチアの本土に住んでいたんですが、橋を渡ると島に着きます。
休みの時は、島に行っていろんなところを散策。
横がすぐ海というところを歩くことは、
一人でも友達といても楽しめる時間でした。
どこか行こうと思ったら島に行っていました。
10分ぐらいで着きます。
ー6ヶ月イタリアにいる間に訪れた国は?
まずはじめに、クラシック音楽も好きだったので
ヨーロッパにいる間にコンサートに行きたくて
オーストリアのウイーンにクラシック音楽を聴きに行きました。
それから、ロンドンには親戚がいて、1週間ぐらい滞在しましたが
ハリーポッターのスタジアムが楽しかったです。
最後にパリオリンピックの開会式の頃にフランスに行ってきました。
ーイタリアではどこに行きました?
ローマ、フィレンツェ、ミラノ、ボローニャに行きましたが、
一番好きだったのがフィレンツェ。
一番美術館が多くて、教科書で見た有名な絵とかを間近で見るのが初めてで
街並みはみんな似ているけれど、フィレンツェの雰囲気が一番好きでした。
ー6ヶ月イタリアで過ごした後に、みんないろいろというけれど
Aちゃんに取ってイタリアを表現すると?
すごく明るい国!
みんながオープンで、みんながみんなすごくジェスチャーを使って喋るんですが、
自分もジェスチャーをし出しました。
ー今から留学しようとする人に、どんなアドバイスをあげたいですか?
IELTSで5.5取ってイタリアに行きましたが
それこそ行く前にMiwakoさんから言われたことですが、
勉強することを楽しんでほしいということ
私は留学する前に1〜2年英語を勉強しましたが、
自分に厳しくて嫌になった時期も何回もありました。
自分はどんな種類の勉強をするときも自分に厳しくしすぎ、
自分を追い詰めてもーティベーションを上げるタイプの人間だったんですが、
そればかりも良くない
だから、勉強の仕方とかもあるかもしれないですが
映画を見るとか楽しめば
自分のもーティベーションも保てるかなぁと思います。
ーひとりでやるには心の中にみんな葛藤があったりするからあの手この手でやり方を変えてね
ー英語の勉強では何が一番役に立ったと思う?
シャドウイングかもしれない
ーいっぱいやったね
それから、映画で使われていた表現をコピーしてそれ使いました。
意外と頭に映画の言葉が残っていて、めっちゃ使えるじゃん、とかなりました。
ー将来の展望が変わって、今まで見えていなかったことが見えた、
こんな可能性があることいっぱいと感じたと思うけど、
例えば、今からどういうことをやりたいかな?
まずは自分の視野をもっと広げたいと思いました。
今まで勉強する目的で海外に行ったことはなかったけれど、
日本のことしか知らない状態で新しいことを知って、
なんだこういう感じだったんだって・・・
ー全く知らない扉を開けてみたら、知らない景色が広がっていたって感覚かな
まずは行動してみることだね。
−5年後、10年後はどういうことをやっていたい?
インターナショナルに働けていたら嬉しい:)
そのために、経済も勉強したし、資格も取りたいし英語も続けたい。
ーMBAとか取れたらいいね!
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改めて留学することの意味の大きさ、深さを感じさせてもらえた再会の時間でした。
私自身も同じぐらいの歳の時にアメリカに行ったんですが
本当に a life-changing experience になりました。
昨日私の姉がオフィスに立ち寄って話をして行ったんですが
彼女の素敵な言葉が心に残ります・
「希望とは、自分が変われること」
Aちゃんも、これからどんどん変化を続け持ち前のエレガンスと教養で
さらに素晴らしい女性に変貌していくことでしょう。
“It is our attitude at the beginning of a difficult task which, more than anything else, will affect its successful outcome.” —William James