Miwako's EYE
Zenzero’s Flamiche
師走というくらいだから私も走っています(少なくとも頭の中は)。本当に1年という月日はあっという間に過ぎていきますね。
去年あのSusan Boyle さんの素晴らしい歌声をイギリスのBritain’s Got Talent という番組で聴いたときに (→ http://www.youtube.com/watch?v=RxPZh4AnWyk )そのジャッジのひとりPiers Moganという人を初めて知りました。そのときはAmerican Idolの辛口ジャッジのSimon Cowelしか知らなかったのですが、その後Susan Boyleさんが世界にセンセーショナルに紹介されPiers Morganの彼女に対する意見もときどき報道され、彼のことを少しずつ知るようになりました。しかし今回CNNの長年の看板番組でもあり、私もよく見ていた時の顔の人とのトーク番組Larry King Liveの後を受けて彼の番組がスタートすることになると聞いたときはびっくり。急に彼ってどんな人物?と興味がわきました。CNNでは次のように言っています。
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CNNの報道ではまだ番組の名前が決まっていないが、MorganのショーはCNN-USの東海岸タイムゾーンでは午後9時に放映される予定で、CNN-Internationalでは200カ国以上に放映される予定である。Morganはニューヨークにベースを置くが、LAやロンドンからも放映するということだ。
Larry Kingは1985年にホストを始めた”Larry King Live”を降板することを今年の夏明らかにした。(“step aside”で “step down”ではないので厳密にはメインではなくなるが、まだ番組には何らかの形で関わる事があることを示唆しています)
「私はLarry King Liveを25年間見ていて、TVの最もすばらしいインタビュアーだと私が思うあの伝説的なサスペンダーをいつの日か自分が身につける事を夢見ていました。」(サスペンダーはLarryKingのトレードマーク)とMorganは言っている。
45歳のMorganはイギリスのThe Wimbledon Newsで新聞記者としてジャーナリズムのキャリアをスタート。1994年、28歳の時にRubert MurdockのNews of the Worldで一番若い編集者になった。その後9年間務めることになるDaily Mirror紙に1995年に移り編集長になった。
2004年虐待されたイラクの刑務所の囚人だといわれる写真の出版をめぐっての論争でMirror紙を辞めた。紙は後にその写真は偽造だと認め、かつがれたと言っている。
その後Morganはテレビのパーソナリティになり、BBC とITVでインタビュアー番組の司会をした。Simon Cowellが視聴率最高の”Britain’s Got Talent” の審査員に抜擢した。
Mirror紙以降も、GQ紙の毎月のインタビュアーコラムを含め彼の紙面におけるジャーナリズムキャリアは続いた。
Morganはthe Mail紙の日曜版に2つのコラムを持っており、それは継続する。
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ということで、紙のメディアもテレビも多くの経験があるようです。同じCNNのThe Situation Room 担当のWolf Blitzer が WiliLeaks 創設者のJulian Assange についてどう思うかたずねたところ、Piersは “He is a freedom fighter and at the same time a terrorist in the cyberspace.”と言ったところは私もぴったり同感でした。ただ、イギリスとアメリカのジョークのポイントがずれなきゃいいんですが、Piers Morganさん1月より期待してます!
Doha, Quatar
いや〜ワールドカップ2018と2022はロシアとカタールに決まりましたね。いろんなサイトで、「超以外だ」のコメントが書かれています。ひとつの国で11の時差がある超大国のロシアと、超小国のカタール。カタールのことはあまり知りませんが、サイズ的には秋田県より少し小さいくらい。日本のサッカーファンには「ドーハの悲劇」として印象に残っているでしょう。wikiによると現在は石油と天然ガスに依存する経済体制で、GDPパーキャピタは世界最高レベルで所得税がなく、外国人労働者の数がカタール国籍を持つ人より多いそうです。
不満だらけの西側のスポーツ報道機関のひとつESPNのサイトによると以下のように書いてあります。
イギリスやアメリカ、共同開催のスペインやポルトガルの気分を害して2018, 2022年のワールドカップにそれぞれ選ばれたロシアとカタールを他にどのように説明できるというのだろうか?FIFAは「ワールドカップのフロンティアを広げる素晴らしいチャンスがある」と開催地発表の前夜カタールのプレゼンチームが言ったとき、サーカー界の最も影響力のある人たちは明らかに同意した。
これは南アフリカのワールドカップの素晴らしい業績から来ている。アフリカ大陸初となる大会の開催に眉をひそめた人もいた。しかし南アフリカは大会の準備も間に合わないだろうという当初の懸念にもかかわらず、冷静に事を運んだ。犯罪もなく、数人が当初損失があるだろうと予想したとき南アフリカは「経済的に良い決断」だとFIFA代表のセップ・ブラッターは言った。テレビでサッカーの試合を見た事がない非白人居住区でもサッカーは行われた。
ロシアには大きな経済力はあるが、FIFAは先月の評価レポートではその国土の広さと交通機関の不整備を挙げていた。チーム自身が認めるようにロシアには辺境地帯がある。FIFAはそこのところを変える望みをもってその移動サーカスを連れて来る好機を見たのだろう。
カタールもワールドカップの開催国史上一番の小国である。人口はおよそ140万人、サイズはコネチカット州ぐらいである。隣国の助けなしには ー論外か?ー 2022年には狭くって息苦しくなるだろう。
夏の酷暑はどうなんだ、とお尋ねになるかもしれない。FIFAは、6月と7月の猛暑を考慮せず、明らかに長く問題がある地域である中東にワールドカップを持って行きたかったようだ。
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しかし、最近BBCやCNNのコマーシャルは中東の大企業のものが多く、確かに大きなお金が動いていて今まで西洋支配だった金融やその他の業界に中東が台頭して来ているという感は免れません。
私としてはどこの国で開催されてもいいんですが、次のワールドカップのテレビ観戦を楽しみにしています。
Miwako's EYE
この数ヶ月CNNのコマーシャルに”World Cup Soccer Korea”というのがしょっちゅう放映されていて、てっきり知らないうちに開催地は韓国に決まったのかと思っていました。数週間前に一緒にそれを見ていたLucが “Korea wants it so bad.”(韓国は相当開催地になりたいんだね)と言って初めて「な〜んだ。やっぱりまだ決まってなかったんだ。でも韓国は今回はすごくアグレッシブだね。」と思ったことでした。FIFAによると以下のような情報が書いてありました。
14:00 Australia (オーストラリア)
15:00 Korea Republic (韓国)
16:00 Qatar (カタール)
17:00 USA (アメリカ)
18:00 Japan (日本)
09:00 Belgium/Netherlands (ベルギー/オランダ)
10:00 Spain/Portugal (スペイン/ポルトガル)
11:00 England (イギリス)
12:00 Russia (ロシア)
Wherever (Whoever?) the host will be, I am very much looking forward to the next World Cup Soccer!
この写真は1979年のロスアンジェルス。私が初めてLAに行ったときに住んでいた建物です。アメリカ人と結婚した姉のところに居候させてもらいました。Dennisのヴォルクスワーゲンはあまり変わっていないけど、車を見ると30年前を感じさせますね。あの当時はアメリカの車はひどく大きく感じました。車のみならず、アイスクリームも、パンも通りも人もなんでもかんでも大きく感じて友達への手紙に”Everything is big in America, even cats.”と書いた記憶があります。
Los Angeles, 1979. This is the very first building I lived when I went to Los Angeles for the first time. Actually this was my sister’s apartment where she kindly let me stay. Although the Volkswagen has not changed the signature style much, other cars on the photo do remind me of the fact that over thirty years has passed since then. Just having come from Japan, those American cars appeared really big. As a matter of fact, everything from ice cream to streets, to ovens, to the salad for one person, to many other things, seemed much bigger. I remember writing to one of my friends like ”Everything is big in America, even cats.”
ひょんなことからこの写真が出て来て、当時の記憶がよみがえってきました。この通りはLAのFairfaxとMelroseの近くで、Fairfax High Schoolのグランドの前でした。Google Earthで検索してみると、今もこの建物は同じ場所に建っています。ただ、建物の前にある4本の木はなくなっていました。この通りを1ブロック北に行くとMelroseという通りで、現在はファッショナブルなお店やカフェがたくさん軒を並べLAのひとつの文化を作っていますが、当時はまだ閑散としていて、Melrose とGeneseeの角にはクリーニング屋さんがあって、クリーニングは一度も持っていかなかったけれどそこのおじいさんはとても私に優しくしてくれました。
Unexpectedly I found this old photo and many things, such as smells of Canters Cafe, the falafel shop on Fairfax, old people on the bus, big navy blue mailboxes on the street corners, etc, etc. came back to my mind. 540 N. Genesee is near Fairfax and Melrose, just along the Fairfax High School fields. I was very curious and couldn’t help but view in Google Earth to see if the building was still standing there. Yes, there was, but without those four trees in front of the building. If you go north one block, you’ll find Melrose Avenue where there are many fashionable boutiques and cafes. Back then, there were not so many shops on the street nor was it so much of a high-end paradise. A cleaner was at the corner of Melrose and Genesee and there was an old man there. I don’t remember bringing any clothes to get cleaned, but he was always very kind to me telling me about the neighborhood.
Melroseに当時あったお店で覚えているのは、Aardvarkという古着屋。なにせお金がない貧乏学生の私です。1ドルや2ドルの古着は大変助かりました。安っぽいキモノのセクションもあって1着5ドルくらいで売っていたので、数着買って寝間着代わりにしてました。そこにはビンテージものの洋服や、US Armyや郵便局の払い下げのユニフォームなどもありました。郵便局のカーディガンがとってもあったかかったのでよく着ていました。それからChianti Cucinaというイタリアンレストランもありましたね。白と黒ベースのインテリアでときどき行ってました。今もまだあるかなぁ?
One of the shops on Melrose that I used to go to was Aardvark, a used clothes shop. One or two dollars a shirt was very appealing to me. There was one corner of the shop, about one or two meter wide space, to sell old cheap kimonos. I bought a few and wore them as my pajama. That’s right! There was an Italian restaurant called Chianti Cucina as well. I wonder if that’s still there.
それから程なくMelroseが原宿のように若者のブティックやカフェ、ギャラリーが立ち並ぶ通りになりましたが、その頃は私はHollywood, Palms, West Los Angelesとアパートを次々と変わり、だんだんとLAのおしゃれサイドからは遠のき、毎週末をVenice Beachでボディサーフィング、あるいはValenciaで乗馬、またはSanta Monica Mountains(特にSycamore Canyon)でハイキングして過ごすようになりました。
It didn’t take Melrose long to become what it is now. Meanwhile, I moved away from those stylish scenes of Melrose to Hollywood, being stabbed, moved to West LA, having some trouble with roommates, and moved again to a cheap apartment in Palms. I went to Venice beach almost every weekend bodysurfing, to Valencia horseback riding, to Santa Monica Mountains (especially to Sycamore Canyon) hiking.
To be continued…
Miwako's EYE
去年の今日は京都で紅葉を満喫していました。「京都に紅葉を見に行く」とは小さい頃からいろんな人から聞いてはいました。しかし友人から誘われた時も、紅葉を見に行くというより、友人たちと楽しい時間が過ごせるということの方が、待ち遠しかった私です。京都通の友人の紅葉を語る口ぶりが「大げさだヨ」とも思っていたくらい。ところが、行ってみてびっくり。タイミングも良かったんですが、さすがは京です。あんなに紅葉を見て感動したのは初めてでした。あれ以来長崎の紅葉のどれを見ても、あの圧倒されるような、燃えている葉とは比べられず淋しい思いをしています。誘ってくれた友には一生の感謝です。
会話のクラスでよくレッスンの最初に聞くのは、”What’s new?”という問いです。この季節は紅葉の話しがよく出ますが、みなさん頭を抱えるのが、「紅葉って英語で何と言うんだろう」ということです。
Weblioを見てみると次のような訳が出ていました。
こうよう3 紅葉
用例 |
もみじ 紅葉
用例 |
いろいろな言い方がありますね。日本語のように「紅葉」=XXXという対訳があるわけではないので、いろいろな言い方を試してみてください。対訳がないときはいつでも、それを説明するような言い方にすればいいですね。