Miwako's EYE
さてさて今年のエスタミネーのハロウイーンパーティは本当のハロウイーンの日とぴったし。新しいスタッフたちも一生懸命がんばって楽しいパーティになりました。
パーティ前日は日付が変わった後までスタッフみんなで準備。
さあ最初はかぼちゃクイズ。みんな当たったかなぁ?
今年のクッキングはみんな一斉にやりました。みんな上手だったね。
お化け屋敷では怖がらなかった子たちが意外に怖がったMystery Box。
Can you do an operation?
ちびっ子たちも高得点をマーク!
“We are not scared! (but prefer to go in with a pair.”
“Mmm ~! The monster pudding and the spider were delicious!
“We had such a fun time! Can’t wait for the next Halloween!!”
Miwako's EYE
今月から再び長崎大学病院薬剤部で服薬指導の英語教室が始まっています。
薬剤部のクラスおよびエスタミネーでのクラス参加してもらってたKayokoちゃんと久しぶりの再会。なんと、ちょっと見ない間に結婚しもうすぐママになるようです。本当に輝いていました!
この薬剤部のクラスは私にも大変勉強になります。
アメリカの大学卒業後医療機器の会社に勤めており、病院や医師との関わりも多く、またエスタミネーには医療関係の生徒さんが多く、医療ネタは昔から大好きですが、お薬のことは意外と不案内です。薬剤部のみなさんのお仕事内容を聞くにつけ、本当に仕事内容が多岐にわたり、また膨大な量の知識が必要なことを再認識しました。
例えば抗がん剤を無菌室で準備したり、患者さんの血液中の薬の濃度を調べ適量の薬を医者にアドバイスしたり、患者さんの食事と薬の関係を説明したりなどなど、処方箋に書いてある薬を袋に入れるだけではない深〜〜いプロの世界がありました。
みなさん本当に真面目で毎回一生懸命取り組んでくれます。私もみなさんからいろいろなことを学びながら、より良いクラスを提供していきたいと思います。
Miwako's EYE
まさにかつてのエスタミネーの生徒さんたちをたずねて世界を回ろうとしていた9月の初めになんとこの写真のSayakaから数年の時を超えて連絡がありました。15年ほど前の当時のクラス生徒さんで今でも来られている方ととときどき話題になっていた子で、当時は高校生でしたが大人のクラスでも堂々と渡り合っていて、とっても印象に残る好感度抜群の生徒さんでした。
そして今回長崎に帰省中に再会することができました。
高校卒業後はアメリカ、ミシガン州のの大学で心理学を勉強しその後就職、結婚と人生の階段をのぼり、会社の転勤でオハイオ州のCincinati に引っ越し今に至るそうです。
MBA(Master of Business Administration)を最近取得し、現在の職はFinancial Analyst。すごいですね〜。I definitely need her help!! MBAと簡単に言いますが、この学位をアメリカで取得するということは、実は並大抵なことではありません。まずGRE(Graduate Record Examination)という大学院入学の試験を受けなければなりません。これにはAnalytical Writing(論文)、Verbal Reasoning(ネイティブ大学院レベルを対象とした英語)、Quantitative Reasoning(数学)とアメリカ人でも大変な試験です。さらにこれをクリアしMBAプログラムに入ると様々な企業経営に関する実務を学びます。
彼女にどうやって今の自分になったのか聞いたところ「自分にできるのは何か、それをどうやって達成できるかを常に自分に問うこと、そして実際にやってみること」という素晴らしい回答をもらいました。「いつも私は他に何ができる?自分自身のため、他の人のため、そして将来のために」を考えているそうです。まさに見習いたい言葉ですね。
近い将来起業する夢があるそうですが、I have no doubt that she will succeed. 素晴らしい知性とコミュニケーション能力、そして勤勉さを持ち合わせた彼女の将来本当に楽しみです。I will definitely go visit you in a few years! Thank you for an inspiring time!!
Miwako's EYE
寒〜いパリを後にしユーラシア大陸を越えてたどり着いたのはお隣の韓国。実はずいぶん昔にKinpo空港だけにはタッチしたことがありますが、入国審査を終えて外に出たのは初めて。日本と同じ時間帯ということも初めて知りました。隣の国のことにこんなに無関心だった自分が恥ずかしい。でも今回の旅行で一番苦労したのはこの国。なぜかって言うとハングルが全く読めないからです。アルファベットの国は昔のお勉強が少し役立って、なんとかサバイブしましたが参りました。おそらく外国から日本に来た人たちが感じるのはこんな感じだろうと実感しました。町の感じも歩いている人たちもなんか馴染みがあるんですが、バスに乗っても発音がわからないから結局他の乗客に「英語」で聞く始末です。でも驚いたことに、私が尋ねた方達はみなさん、本当に一人残らず素晴らしい英語を話されました。日本の英語教育の効果のなさをも実感する旅になりました。
さてさて前置きが長くなりましたが、ここソウルの世界的に名高いソウル大学で韓国史を勉強しているSeimiちゃんをたずねました。彼女にどうして今の自分があるのか聞いたところ、もともと韓国に興味をいだいたのは小学校のときの歴史の授業だったそうです。大学に実際に入って韓国の人と交流してみたら、自分が学校で教わった日韓の歴史とのズレがあり、実際はどうなのかを深く知りたいと思い留学を決意したそうです。
ソウル大学の歴史の授業はもちろん全部韓国語ですが、日本で読む韓国史とは全く違うそうです。私は昔アメリカの学生時代にスペイン語を専攻していたんですが、そのときスペイン史のクラスでスペイン人の先生が、「スペイン人の書くスペイン史とムーア人の書くスペイン史は全く異なっている。歴史を勉強するときは常に誰が書いたものかを意識して解釈しなければならない。」と言っていたことを思い出しました。
「特に近代韓国史においては、韓国は基本的に被害を受けたという立場なので、日本人とはまったく違う視点で書かれています。その視点は日本にいたら絶対に触れることがないので、韓国に行かなければ学ぶことができない」といいます。しっかりと勉強して将来の日韓関係に何か一石を投じることができればいいですね。
韓国に来て感じることは、周りに親身になっていろいろと助けてくれる方が多いということ。なので韓国に行って寂しいと思ったことは一度もないそうです。私もハングルが読めずいろんな人に助けてもらいましたが、とにかくみなさん親切でした。
Seimiちゃんの将来の目標は日韓の通訳士。どの言語でも通訳になるということは至難の技です。両方の文化、歴史、その他もろもろを深く正確に知らなければなりません。でも昔の真摯に学問に取り組む彼女を知っているだけに、彼女ならやれそうだという確信が私にはあります。
Seimiちゃん、あなたのおかげで今更ですが、お隣の国韓国に私もだんだん興味が湧いてきました。隣国のこと私たち日本人はもっと知らないといけませんね。だって、文化的なものはたいがいが朝鮮半島を通して日本にもたらされたんですから。なので古代以来友好と交流がたくさんあったはず。韓国から受けている恩恵は計り知れません。そして将来の日韓関係の展望を良くするためにも、今の時代に生きる私たちが正しい歴史認識をして次世代の人たちに負の遺産を残さない努力をするべきです。Seimiちゃん、これからの活躍応援してますね〜❤️
Miwako's EYE
ブラジルを後にして向かったのが、フランスのパリから電車で1時間半ほど南に行ったChaintreauxという町に住んでいるKyokoちゃんのところです。彼女からはパリのリヨン駅からのくわしい行き方や通過する駅の名前や発音の仕方まで詳しく教えてもらって、電車1本遅れましたが無事たどり着くことができました。
私たちが知り合ったのはもう20年前以上で、アメリカから来たばっかりの私たちがやっている小さな喫茶店に彼女が取材に来たのがきっかけでした。当時は長与には外国人がめずらしくLucには取材がたくさん来ていたのですが、なんと彼女は唯一私に取材を申し込んできました。それから私たちがカフェで英語を教え始め彼女も英語のクラスに参加するようになりました。
今彼女にいろいろとどうして今の彼女に至ったかの話を聞いてみると、なんとエスタミネーで英語を習っていたことからだというのです。当時彼女が働いていた今では長崎では知らない人がいないくらい大きなケーキ屋さんのLittle Angelesにフランスから現在夫となっている彼がやってきて、英語ができる彼女が彼のお世話がかりになりそこから恋愛が芽生えたということです。なんてドラマチックなんでしょう!!
そして結婚してフランスへやって来ましたが、最初の6年は町の方に住んでいたけれども言葉の面でも人と交流するという面でも真っ暗で頭の上でいろんなことが飛び交っていて、もがいていたそうです。もともと「フランスに留学するぞ〜!」と思ってフランスに行く人が多い中、そういう時間をかけてフランス行きを準備していた人とは違って突然あれよあれよという間にフランスに行くことになって本当に大変だったと思います。ましてや英語と違ってフランス語は学校での素養もないだけに苦労の度合いが桁外れだったと思います。それに文化的な違いも相当ありますしね。
Kyokoちゃんは結婚した時に「家族のために生きよう」と決意をしたそうです。でもそれが裏目に出て、前に進むのではなく足踏み状態が続いたそうです。でも6年前に田舎に家を買うことになり現在の場所に転居。ここが一つのターニングポイントになったようです。ここでは頼る義理の家族はおらず、車を運転しないと生活ができない。ローンを払うために仕事もしなくてはならない。
「私の人生はこの田舎から始まった」
自分がやるしかない。子供達の学校の先生と交流し、お母さんたちと交流し始めたここが本当にフランス生活の転機になったそうです。
少し前にあるひとまわりも若い関西出身の日本人女性と知り合いになり、彼女と交流するにつれ、違う自分が目覚めてきたといいます。その女性曰く「気持ちを言わないと相手に伝わらない」。そして自分の気持ちをだんだん言い出したら、心のフタが開いてきたのです。今まではいろんなことを言われたら落ち込んでいたけれど、夫とケンカをし始め言い返すようになってきたら、夫も彼女を尊重しいたわるようになったそうです。
「自分はこうなんだ」と前置きをしていうようになったら、最初はケンカになるが、最後は彼がお茶碗を洗ってくれたり、お掃除をしてくれたりするようになり、「あれ?どうしたのかな?」と。昔は恋愛が前提にあったが、今は「同じ船に乗る同志」という感じでとても楽になった。拍手〜〜!これこそ夫婦の醍醐味ですよね。
私は国際結婚をしていますが、住んだところはアメリカ、日本と私には有利なところばかりです。私の姉もイスラエルに嫁いでヘブライ語という言葉を彼の地で初めて勉強し始めあまり苦労を語らない姉ですが、いつも彼女のきた道を思っていました。私の夫もしかりです。
Kyokoちゃんのきた道も決して楽ではなかったと思います。でもそれから至った今のすばらしいご家族の有り様を目の当たりにすると、彼女の苦労が報われてすべてがまあるく収まって感無量です。言葉や文化の壁って意外と重く深く、その中で本当の自分を発揮できるようになるには他人が思っている以上に大変な時間と労力を必要とします。今まさに自分の気持ちにフタをすることをやめ、いろんなことを自在にできるようになって土壌は十分に耕されてきたようで、これからが彼女の本領発揮ですね。仕事の幅もどんどん増えていくことでしょう。次回はLucとぜぜひおじゃまさせてください。そして家族のみんなと語り合いたいです❤️Merci beaucoup, Kyoko! À bientôt!