オンライン・長崎・長与・時津方面で英語教室をお探しの方

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何年も前に初めてお会いした時に「私はアフリカに骨を埋めたい」とおっしゃっていたDr. M.

それから、コロナ禍の数年を除いて毎年何度もアフリカに足を運び、ブルーリ潰瘍の患者さんを助けたり、いろんな国で医療検診をしたりする姿を見てきました。

キラキラする目で、アフリカでの経験を語ったり、次のプロジェクトを話す姿を見てクラスでは大変多くのことを学ばさせていただいています。

ーなぜ英語を勉強したいんでしょう?

アフリカで医療をしたいと思ったからです。

10年以上前に、先輩がふたりいて

ひとりは日本人の宣教師の方で、医療人ではありませんが医療の手伝いをしている方がいました。

その方は、アメリカの神学校に行かれて宣教師になって、アフガニスタンで学校を建てました。

もうひとりは、日本人の女性医師で、バングラデッシュで医療をされていて、今も活躍されています。

そういう方達の活動を見て、将来第3国で医療活動をしたいと思い、アフリカに行きたいと思いました。

それには英語が必要で、まずTOEFLをやって英語を磨きたいと思いました。

しかし、英語は一人ではできません。

仕事もありますし、そのスキマ時間になかなか集中して効率的に勉強することができません。

それで、英語のトレーナーをずっと探していました。

そんな時に商店街を歩いていて、エスタミネーの看板を見て門を叩いたのです。

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ー元々専門は何科でしょうか?

血液内科ですが、基本分子生物学です。
現在病院では内科をやっています。

大学院に入った時に教授が機会をくれて、アメリカで3年半勉強して日本に帰り血液学で博士号を取りました。

ー10何年か前に素晴らしい方達と出会い、それがアフリカになったのはどういう経緯ですか?

信仰でした。

長崎に引っ越して来る前に熱帯医学研究所に行ったんですが、そこである先生からとてもひどいことを言われました。

心身ともにフラフラになって栃木の家に帰ってバターンと倒れて、もうやめようかと心が折れそうでした。

その時、クリスチャンの方はわかるかもしれませんが、「私の示す地に行きなさい」という言葉が閃きました。

それは、聞こえたんじゃなく、字に出てきたわけでもなく、その言葉がふっと浮かんだんです。

それは、実は聖書の言葉で、聖書のどこかにあったなぁと聖書をめくって探してみると、創世記にあったんです。

確か12章だったかな。

アブラハムは元々メソポタミアにいたんですが、75歳ぐらいで神の言葉を受けてイスラエルの方に移動するんです。

私が洗礼を受けたのはアメリカにいる時でした。

神様が、「私の示す地に行きなさい」というので

私はアフリカに行くことになったんですが、めちゃくちゃいじめられるんですね。

家族からもほぼ離縁。なんでアフリカなんか行くのか、と。

親族とはほとんど関係が薄くなって、こちら長崎に来てもいじめられたんですね。

若い医者だと教えてもらえることでも、僕は教えてもらえない。

それはとてもしんどいことで、普通だったらやめるんですが・・・

栃木の病院にいたんですが、向こうは医者が少ないので止められたんです。

給料も家も保証するから栃木に残れと。

しかし栃木に残らなかった・・・

ーそれから、ケニヤに行かれて、いろんな国に行ったんですね。

韓国に大きな教団があって、医療チームの方がブルーリ潰瘍に関わっていて、

自分もそれに関わるようになった。

そのチームの医者が、アトピー性皮膚炎専門の方で、

ブルーリ潰瘍の治療のためにいろいろ試して何も聞かなかったが、

たまたまアトピーの薬をあげたらブルーリ潰瘍が治った。

抗生剤も初期しか効かない。

400ぐらいの症例を見て、治癒率80%でした。その手伝いをしました。

アフリカで行った国は、述べ20数か国。

普通アフリカに行ったら田舎で医療をやるんですが、コートジボアールでは大きな街でした。

市の中心部で1週間で1万人ぐらいの患者さんが来ました。

アフリカでの活動は、すべてボランティアで自分のお金でやります。

ー過去2年ぐらいマラウイにフォーカスしているのはどういう経緯でしょうか?

2、30年前にアフリカ開発会議TICADというのが発足して、

4年に1回アフリカの全首相を招いてアフリカの開発をテーマにする会議があるのですが、

2019年だったか、横浜でありました。

本会議には入れないのですが、いろんな部会には出席できます。

たまたまある部会に行ったら、マラウイの副大使と話すことができ、

話の流れからマラウイで医療をしないかということになりました。

ーそれで、今マラウイで実際にやろうとしていることは何ですか?

アフリカは周産期死亡率がとても高く、マラウイは10万人のうち349人です。

これは日本の10倍になります。

マラウイの一つの問題は医療機器がないということです。

日本では、10週目ぐらいだと、妊婦は例外なくエコーをしているんですが、

マラウイでは14週まででエコー受診しているのはたったの8%です。

検診に行ってもエコーがない。

そういうわけで、周産期死亡率が349人という数字になるのです。

そこで、その問題の解決のためにマラウイの保健省とともに現在奔走しています。

ーそれでは、Dr. Mの活動を支援するにはどうしたらいいですか?

Red Wood Mission という非営利の活動をやっています。

ホームページは日本語と英語があって、寄付のサイトがありますのでご協力いただけると嬉しいです。

ー5年後、10年後はどんなことをやっていたいですか?

私がやりたいのは、向こうの人が自立した医療活動ができるということです。

日本では、だいたい3年でいろいろやりました、その事業は終わりました、といいうケースが多いんです。

向こうに行ったら、お前はどうせ3年で戻るんだろうと言われました。

マラウイは貧しい国なので、医療関係はほとんど外国の資金に頼っています。

外国の援助に頼らない、そういうシステムを構築したいと思っています。

そのモデルはあって、バングラデッシュのユヌス博士のマイクロクレジットのシステムでは、

低額のお金を借りて、織物などをする人たちが成功して自立していってます。

去年、実際にバングラデッシュに行ってユヌス博士に会い

農村部を視察しその効果を見てきましたが、このソーシャルビジネスはとっても大きくなっていました。

グラミン銀行というのを作り、その中にグラミントラストという

マイクロクレジットを使って事業を援助している部門がありました。

将来的にはそことも組んでやりたいと思っています。

ー最後に英語の必要性についてどう思われますか?

英語は絶対ですね!

ーどのくらいの英語力があれば、そうやって世界を舞台に仕事ができるんでしょう?

日常英語はもちろんですが、外国人と話すと自分が使うボキャブラリーで評価されます

中学生レベルの英語で話したら、向こうもそれで相手してくるので発展できません。

ー結局は母国語力で、日本語で語れないことは英語でも語れない。

おっしゃる通りです。

アフリカで活躍されている日本人にたくさん会いましたが、

その方達は英語やフランス語もとても流暢に話されるんですが、日本語もすごいのです。

英語力もさることながら、日本語力も磨かないといけないですね。

抽象的なことも言葉できちんと述べることができるようになることが重要ですね。

******

もう長いこと週に2回1時間ずつ受講していただいているDr. Mですが、

Cristine とは基本ライティングとスピーキング、

私とは、さまざまなことをやってきましたが、ここ1年は

グローバルな問題に関してのパブリックスピーキングの練習や、

世界の旬な医療ニュースの深掘り

アフリカの英語ニュース、特にマラウイのニュースはできるだけ取り入れています。

さらに、リスニングと、最近はスピードリーディングとボキャブラリーのブラッシュアップもやっています。

Dr. M の口から「信仰」という言葉が出ましたが、

レッスンでやった教材にアメリカの前NIHアメリカ国立衛生研究所長が前立腺がんになった時のインタビューで,

”I am a person of faith… 
(私は信仰を持つ人です)

I had to really think about, how do I want to focus my time on giving the most I can to my family, to my friends, to my profession, to my faith…”
(自分の時間を、家族に、友人に、仕事に、信仰に、どのように使うかということを真剣に考えなければならなかったんです)

このくだりになったときに、共感されたようでした。

Dr. Mは行動力があり、毎週一生懸命課題に取り組まれとても実り多いレッスンになっています。

Real change, enduring change, happens one step at a time.”
 — Ruth Bader Ginsburg

「本当の変化、持続する変化は、一歩一歩進んで起こる。」
— ルース・ベイダー・ギンズバーグ(最高裁判事)

 

 

5-Reasons-Why-You-Should-Not-Visit-Venice-This-Summer

お帰りなさ~い!

以前にもブログで紹介しましたが、A ちゃん、半年のイタリア、ベネチアにある国立大学カ・フォスカリ大学留学から帰国しました。

最初の留学がイタリアなんて羨ましすぎますね~!

本当に実り多い時間を過ごしたようです。

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ーイタリア6ヶ月、ズバリどうでしたか~?

最高!一言で言ったらみんなフレンドリーでした!
ず〜っと誰かと喋っている感じでnever lonely

ー大学はどうでしたか?

勉強面は本当に大変でした。

ーどんなクラスを取ったの?

こちらの大学では経済学部なので経済のクラスを取っていたんですが、イタリアの大学では何を勉強しても良かったので、言語学を中心に取りました。

例えば、一般言語学で音声学、フォネティックス、イタリア語、単位はとらなかったけれど英語の古い映画を見て分析する社会学理論とか、柔軟に自分の学びたいことを選択できました。

授業は英語で、普段のコミュニケーションは自分のユーモアと喋り口調で全然問題なくたくさん友達ができました。

授業ではアカデミックの専門用語とかも出てきて、さらに新しい分野を勉強しているので最初はわからなすぎて、授業を選ぶところから、これは難しそうだから無理だとか・・・それで、学校が始まって最初の3日目ぐらいの時に号泣しました

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ーToo much になったんだね・・・無事乗り越えられたのは友達の力?

ルームメイトと同じナイジェリアとイタリアのハーフの子がいて、「大丈夫、君だったらできるよ!」って励ましてくれました:)

すごく違うなぁって思ったのは、

日本人の子もたくさんいるんですけど

「でもできないことは仕方ないからさ・・・」や「自分ができること探したらいいよ」の方向

でも向こうの子達は、

「大丈夫!できるよ!」「あきらめたら絶対ダメだよ!」

というアドバイスがすごく多かった。

ーそれだけでもすごい収穫だね〜

大変だったけど乗り越えて、自分の糧になりました

みんなめちゃ遊んでいたけど、私は図書館に行きまくって

単位はとらなくても良かったんだけど

なんのためにわざわざ勉強しに行ったのかと思い

私はやる人だからとなんとか頑張ったら単位もちゃんと取れました

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大学のキャンパスは長崎大学とは全く異なりベネチアの島のいろんなところにありました。

いろいろとあちこち歩き回りました。

基本徒歩で、観光地など多くの人が行くところには水上バスがあり

毎日観光気分で登校しました。

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住んでいたのは寮で、基本シェアで二人一部屋でした。

ルームメイトは同じ時期に来た子でトルコ出身で

英語の先生になりたいと言っていて教育系のクラスを取っていたようです。

部屋はホテルみたいなところで広かったです。

ホテルが寮になっていた感じで、内装はビジネスホテルのようでした。

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食事は基本自分で作っていました。

というのも物価が高すぎてカフェに行くとかがあまりできず

スーパーのクロワッサン買って学校に持って行って公園で食べる

とかそういう生活をしていました。

夜だけしっかり作って、朝とお昼は軽く済ませるということをしていたら

食べる量がだんだん減っていって、お腹が空かなくなってめっちゃ痩せました。

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ー向こうのスーパーはどんな感じ?

イタリアは出来上がったご飯や惣菜が本当になくって、

ちゃんと自分で作るという感じでした。

お惣菜はほとんどなくて、あってもとっても高い!

お弁当みたいなのはなくて、

サンドイッチかパンぐらいしか選択肢はありませんでした。

そして、物価はとても高かったです。

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ー授業がない時の楽しい時間の過ごし方は?

ベネチアの本土に住んでいたんですが、橋を渡ると島に着きます。

休みの時は、島に行っていろんなところを散策。

横がすぐ海というところを歩くことは、

一人でも友達といても楽しめる時間でした。

どこか行こうと思ったら島に行っていました。

10分ぐらいで着きます。

ー6ヶ月イタリアにいる間に訪れた国は?

まずはじめに、クラシック音楽も好きだったので

ヨーロッパにいる間にコンサートに行きたくて

オーストリアのウイーンにクラシック音楽を聴きに行きました。

それから、ロンドンには親戚がいて、1週間ぐらい滞在しましたが

ハリーポッターのスタジアムが楽しかったです。

最後にパリオリンピックの開会式の頃にフランスに行ってきました。

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ーイタリアではどこに行きました?

ローマ、フィレンツェ、ミラノ、ボローニャに行きましたが、

一番好きだったのがフィレンツェ。

一番美術館が多くて、教科書で見た有名な絵とかを間近で見るのが初めてで

街並みはみんな似ているけれど、フィレンツェの雰囲気が一番好きでした。

ー6ヶ月イタリアで過ごした後に、みんないろいろというけれど

Aちゃんに取ってイタリアを表現すると?

すごく明るい国!

みんながオープンで、みんながみんなすごくジェスチャーを使って喋るんですが、

自分もジェスチャーをし出しました。

ー今から留学しようとする人に、どんなアドバイスをあげたいですか?

IELTSで5.5取ってイタリアに行きましたが

それこそ行く前にMiwakoさんから言われたことですが、

勉強することを楽しんでほしいということ

私は留学する前に1〜2年英語を勉強しましたが、

自分に厳しくて嫌になった時期も何回もありました。

自分はどんな種類の勉強をするときも自分に厳しくしすぎ、

自分を追い詰めてもーティベーションを上げるタイプの人間だったんですが、

そればかりも良くない

だから、勉強の仕方とかもあるかもしれないですが

映画を見るとか楽しめば

自分のもーティベーションも保てるかなぁと思います。

ーひとりでやるには心の中にみんな葛藤があったりするからあの手この手でやり方を変えてね

ー英語の勉強では何が一番役に立ったと思う?

シャドウイングかもしれない

ーいっぱいやったね

それから、映画で使われていた表現をコピーしてそれ使いました。

意外と頭に映画の言葉が残っていて、めっちゃ使えるじゃん、とかなりました。

ー将来の展望が変わって、今まで見えていなかったことが見えた、

こんな可能性があることいっぱいと感じたと思うけど、

例えば、今からどういうことをやりたいかな?

まずは自分の視野をもっと広げたいと思いました。

今まで勉強する目的で海外に行ったことはなかったけれど、

日本のことしか知らない状態で新しいことを知って、

なんだこういう感じだったんだって・・・

ー全く知らない扉を開けてみたら、知らない景色が広がっていたって感覚かな

まずは行動してみることだね。

−5年後、10年後はどういうことをやっていたい?

インターナショナルに働けていたら嬉しい:)

そのために、経済も勉強したし、資格も取りたいし英語も続けたい。

ーMBAとか取れたらいいね!

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改めて留学することの意味の大きさ、深さを感じさせてもらえた再会の時間でした。

私自身も同じぐらいの歳の時にアメリカに行ったんですが

本当に a life-changing experience になりました。

昨日私の姉がオフィスに立ち寄って話をして行ったんですが

彼女の素敵な言葉が心に残ります・

「希望とは、自分が変われること」

Aちゃんも、これからどんどん変化を続け持ち前のエレガンスと教養で

さらに素晴らしい女性に変貌していくことでしょう。

“It is our attitude at the beginning of a difficult task which, more than anything else, will affect its successful outcome.” —William James

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Screenshot 2024-08-29 at 12.14.35Dr. M 行ってらっしゃ〜い!

過去10年間、大学病院の外科医としてのキャリアを積んできたMさん。

かつては夫が教えていた医学生、現在は博士号の学生でもありますが、今年4月からはちょっとお休みして

先週カナダ、モントリオールのマギル(McGill )大学で2年間外科教育を学ぶため修士留学に出発しました。

エスタミネーではTOEFLと英語面接のレッスンを受講していただきました。

この留学に至った経緯をDr. Mに聞いてみました。

******

5年前に日本外科教育学会の学会に参加。

この会は外科医がマギル大学で勉強することをサポートしています。

ーその要件を満たす条件とは?

1)英語能力:TOEFL iBT86点以上、リーディング、リスニング、ライティング、スピーキングの4技能が全て20点以上であること

2)医学部の成績表(最後の2年間GPA 3.2以上)

3)2通の英語の推薦状

Mさんはその条件を全てクリアして奨学金をゲットし、今回外科教育学を学ぶためにカナダへと出発しました。

2年後には、Surgical Education (外科教育学)の修士号をもらうことができます。

Mさんは、外科教育にとても関心があり、

それをキャリアにして行きたいとこの会にアピールしてきました。

2年前にこのコース申請のために、英語に本格的に取り組むことに決め

エスタミネーでTOEFL講座を受講し、英語面接のトレーニングもやりました。

書類審査合格の後、2023年5月末が奨学金申請の締切でした。

まず、日本人2人から面接試験を受けました。

そのうちのひとりはこの日本外科教育学会の長の人でした。

もうひとりは、このコースを以前たどった現在モントリオールに住んでいる

日本人医師で、マギル大学の外科教育チームの一員でした。

Mさんは、なぜこのプログラムに興味があるのかを問われ、

さらに博士号の研究で取り組んだ研究のことをプレゼンしなければなりませんでした。

ーWhat was your research? (何の研究をしていたの?)

Liver regenerative medicine (肝臓再生医療)

ー素晴らしい!!

それから、マギル大学の教授の面接がありました。

 ー質問覚えてる?

What kind of research would you like to do at McGill? (マギルではどんな研究をしたい?)

AIにとても興味があるので、AIと外科教育を合わせたものをやりたい。

3人の面接官がいて、私の研究の詳細を説明するように言われました。

Could you elaborate on that? (もっと詳しく説明してもらえますか?)と何度も言われました。

次に教授に質問されたのは、

What would you like to do in the future after learning at McGill? (マギル卒業後の構想は?)

先生方のような素晴らしい外科教育者になりたいと思っています。

若い外科医たちに、外科医のスキルを教えるだけでなく、

博士号も取ってもらいたいと思っています。

実は、二人目の面接官の時にすでに合格を確信していました。

というのも、教授は、なぜマギル大学で勉強したいのかを聞かず、

マギル大学で何をしたいか、どこに住みたいかという質問をしたからです。

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実は、Mさんはすでに「超一流の外科医に俺はなる!」という

YouTubeチャンネルを持っていて、

これは、縫合の仕方などを扱っている本当に外科医のための教育チャンネルです。

ぜひみなさんものぞいてみてください:
https://www.youtube.com/@user-cho1ryu

5年前に外科学会に参加して出会いがあって、

実際にコツコツ準備をして、

ついに向こう2年カナダで修士号を取ることになりましたが、

長崎に帰ってからは教育の仕事が増えると思います。

ーカナダでは何をしたい?公私共に。

 英語力アップ、AIの研究など、たくさんの研究。

自分の分野に関するコースもさらに取りたい。

シミュレーションセンターがとても大きいので、

そこでのトレーニングをしっかり学びたいです。

さらに論文も書きたいです。

AI技術が劇的に進化している今が、まさにこの分野を深く勉強するいい機会だと思っています。

向こう5年の間にこの技術がどのように進歩していくかは計り知れず、

医療の様々な分野に応用されるでしょう。

ーMさんは日本の医療界に素晴らしい貢献をすること間違いなしだね!

私は医療のプロですが、実はAIは初心者ですので、学ぶことがたくさんあります。

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ー後輩へのメッセージはありますか?

そもそも5年前から準備をしたのが今回受かった要因です。

2年前にスカラーシップの応募が始まりましたが、TOEFL86点。

これで、ほとんどの受験生があきらめる。

自分は、1回落ちてもいいやと思って、

3年後に本格始動と思って受けたけど受かりました。

受かったのはたまたまですが、5年前から、外科学会には毎年参加しました。

医学教育学という京都大学がやっているコースを、

費用はかかりましたが1年間受講しました。

京都大学が、週に2時間授業をやって、

選ばれた12人ぐらいの学生に対して、

1年間1コース120~140時間の医学教育に関するいろんなカリキュラムを

学んでいって、提出物を出しました。

そのころはコロナだったので、オンラインがメインでした。

ー日々外科医としての仕事をしながら、すでに医学教育にフォーカスした勉強をしていたんですね。

 医学教育に対して関心があっただけでなく、教育論文も1本書いています。

テーマは、「コロナ禍の縫合外科オンライン実習指導」です。

ーひとつひとつブロックを積み上げていったというのがありますね。

そうです。その後にも、外科教育界の指導医講習会も受講しました。

ー知識の幅が広いね~!

日本外科学会という一番大きな学会の

教育委員会アンダー40というのにも応募していて、

そこで現在外科学会全体の委員の仕事もしています。

若手外科医の外科修練の現状を把握するためにアンケート調査を行い、

論文を発表しました。

面白いことに、そこまで業績を積み重ねると、

外科教育学会から10年間のアンケート調査をやってくれと頼まれそれも引き受け、

ニーズアセスメントのメンバーになりました。

(注:ニーズアセスメントとは、特定の対象(個人、グループ、コミュニティ、組織など)が持つニーズや要求を評価し、明らかにするプロセスで、主な目的は、現状を理解し、効果的な解決策を見つけるための基盤を築くこと)

さらに、日本外科学会参加者に質問し、追跡調査を行い論文にしました。

ー大学病院の多忙な仕事と、2月には子供ができたその最中に色々とやっていたんだね

論文を6個ぐらい抱えて、火の車···

Miwako先生が難しい英語の本を要約しろと言われるのと、

高校生が同じ本を要約しろと言われたら違うと思うんです。

僕も、素人段階から論文を書く作業をしたので、相当苦労しました。

ー最初の1歩があるから先がある

その1歩目、2歩目はとても大変だった・・・

みんなへのアドバイスとしては、「英語は絶対!」

英語は医学部レベルだったら、英検準1級レベルでいいと思う

準1級レベルだとほとんどの英語の試験はパスするので、英語の試験が免除される

高校の時に英語を頑張っていれば役に立つこと間違いなし

ーそんな忙しい中、どうやって英語を勉強したの?

去年の8月ぐらいから今年の3~4月まで朝の5時から密にやりました

TOEFLは、過酷でした!修行でした!

Miwako先生から、シャドウイングまでできないと音が取れないから、

それをできるようにと言われていて、

最終的にシャドウイングめちゃくちゃやりました。

TOEFL3500 という英単語集の90何%は頭に入れました!

英語は本当にガチ勉でやって、国試(医師国家試験)ぐらいやりました!

伸びる秘訣は、英単語帳!

TOEFLの試験で、単語がしっかりしていないと75点まではいけても80点はいけない

3500語の単語帳があったら、

そのうち2600単語頭にしっかり入った人が頑張ったら

75点ぐらい行くということが後から振り返ったらわかった

とにかくガチでやるのが大事!

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*****

Mさんにインタビューして、彼の外科医として、

そしてTOEFLの受講生としての姿だけでなく

大学病院の外科医の仕事や、博士課程の学生としての研究、

さらに外科教育学会に参加したり、京都大学の外科教育を受講したり

日本外科学会のアンダー40に参加し現在委員もしていることなどを知り、

外科教育に興味を持ち、留学するという目標を決め

忙しい仕事の合間に果敢にいろんなことに挑戦し、英語学習を進めていったことを知り

彼のパッションが、

将来の日本の外科医界に大きく貢献することは間違いないと確信しました。

その間に2人目の子供も生まれ公私共に超多忙なMさんですが

ユーモアがあり、やる時はとことんやるその魂で

カナダの生活も大いに楽しんで充実したものにするでしょう。

さらに、このインタビューをしているときに次の生徒さんが現れ、

偶然翌週にカナダの反対側ブリティッシュコロンビアの高校に1年留学すると聞いて

自分のメルアドを渡し、カナダでもし病気になったら

迷わずに電話するよう本人に伝えたのも横で見ていてとても嬉しいことでした!

Dr. M, カナダでの人生の新しいチャプター心から応援しています!

“Setting goals is the first step in turning the invisible to the visible.”

– Tony Robbins

 

 

2024年7月29日

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エスタミネーの先生の仕事って、

大手と違ってきめ細かく生徒さんと接するので

とてもパーソナルで

でもとてもプロフェッショナルで

仕事量多くて大変なんですが、

そのパーソナルな部分の感動がすごく多いので

頑張れるというのがあります。

先日も幼稚園の頃から通ってくれていて

小学校の頃は週に5時間英語学童で通ってくれていた子で

今は受験生となったO君がテレビに出た、

というのでその動画を見て

またまたスタッフ大感動です!

なんとラグビー部のたった一人の部員で

黙々と練習しているのです!

この部を廃部にしなかった西校もすごいですが、

他の部員がいなくなった後も

一人で練習を続け、

県の選抜選手に選ばれ

その間にエスタミネーには

ケガの時以外は必ず出席し

英検を受験し

大学受験対策もしているのはあっぱれです。

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お兄ちゃんもお姉ちゃんもエスタミネーに通ってくれ

輝かしい成績を収めてくれましたが

O君もあのちびっ子の時から

成長して人間力が大きくついた現在の姿を見ると

本当にこの生徒さんの人生を共有させていただいて

ありがたいなぁと思いました。

彼の姿を見ていると

この先人生何があろうと

黙々としっかり進んでくれること間違いなしですね。

We are so proud of you, Osuke!

皆さんもこのYouTube見てくださ〜い!

感動しますよ!

https://www.youtube.com/watch?v=rihc9XA4Wgs&t=35s

Screenshot 2024-07-26 at 9.45.44Mother’s love is unconditional and just so immense!

今日の感動!

母親ってすごいなぁ!

以前アメリカ留学する前にエスタミネーに通っていて今はプロフェッショナルとして彼の地で活躍している元生徒さんが、結婚することになりました。

アメリカの家族やゲストの前で母親からのスピーチをするために、今度はお母様がレッスンに来られました。

母親って本当に子供には無条件の愛情を持っていて、そのためには本当に未知のことにも果敢に頑張るんだと感動いたしました:)

実は、大正生まれの私の母は、戦争時代が青春で英語を学ぶことは禁止されていました。

当時私が住んでいたロスアンジェルスに、海外出張が多かった父親とは来たことがあったんですが、私の子供が生まれる時には母が一人で来てくれました。

母が来てくれて本当に嬉しかったのを覚えています。

全く英語が話せなかったので私は入国審査など大丈夫かとても心配したんですが、夫曰く、

「戦争を通ってきた人には、入国のゲートを通ることぐらいなんでもないさ」

全くその通りで、笑顔で出てきました:)

人間の潜在的な力は、いろんな状況で大きく発揮できるってことをここでも学んだのでした。

Mちゃんのお母さん、実は英語結構お上手でした。

でも人前で話すとなると、やはり緊張しますし、娘さんの大事な結婚式ですからいろんな思いも交錯すると思います。

でも、スピーチは間違っても、詰まっても大丈夫です。

素の自分でやるだけです。

お母様の心からの言葉を、結婚式出席の方全てが受け取ることができること間違いないと思います。

Congratulations!

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