Mandela’s Legacy マンデラ氏を偲ぶ
2013年12月15日
Miwako's EYE
Miwako's EYE
マンデラ氏が逝った。
1984年カリフォルニア大学の学生だった頃
‘Free Nelson Mandela’ という歌が流行っていた。
The Special AKA というバンドが歌っていて、
街中いろんなところで耳にしていた。
(最初にコマーシャルが入ります)
その歌詞は、
Free Nelson Mandela
Free, free, free, free, free Nelson Mandela
ネルソン・マンデラを解放してくれ
Free Nelson Mandela
21 years in captivity
21年も囚われの身だ (1984年だったので。実際は27年に及ぶ)
Shoes too small to fit his feet
His body abused but his mind is still free
Are you so blind that you cannot see? I said xxxx
Free Nelson Mandela, I’m begging you
Free Nelson Mandela
彼の足には小さすぎる靴
体は虐待されたが、彼の心はまだ自由だ
それがわからないくらいお前はめくらか?
ネルソン・マンデラを解放してくれ。お願いだ
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アパルトヘイトは
1948年からマンデラ氏が牢獄から出てきた1994年まで続く
そこに至るまでの道のりは想像を絶する
インドのガンジーがたどった無暴力のイギリスからの独立運動も
原点は南アフリカで汽車の一等に乗っていて
「カラード(有色人種)」ということで外に放り出されたことが始まりだ。
CNNは今週大変長い時間をマンデラ氏の喪に服す南アフリカの様子を放映。
そして今日は葬儀を全部生中継。
とても感動的な式で、南アフリカの人は喜びも悲しみも歌で表現することが
とてもうらやましく思えた。
思い出したのが、アメリカにいるときに感じたこと。
日本の仏式のお葬式はとても暗くて、
自分が死んだら絶対あの方法では送って欲しくないと常々思っていた。
故人のことを偲んではいるけれど、何か参列者とのつながりが薄く
形式的だと感じていた。
一方アメリカでは知人たちが読む弔辞は
その故人への最後のメッセージで
故人の人生讃歌だ。
“You made me a better person.”
“Without you I would never be the same person who I am today.”
などなど
今日はうちのマネージャーの奈美ちゃんの招待で
「う ま れ る」
というとても感動的な映画を見た。
「死」を思うこと
「生」に感動を覚え、「生」と「死」を思うこと
自分がどういう使命を持って生まれてきて
自分の関わりのある人や社会に何を投じることができるか
今日はそんなことを思う日でした。