Miwako's EYE
ブラジルを後にして向かったのが、フランスのパリから電車で1時間半ほど南に行ったChaintreauxという町に住んでいるKyokoちゃんのところです。彼女からはパリのリヨン駅からのくわしい行き方や通過する駅の名前や発音の仕方まで詳しく教えてもらって、電車1本遅れましたが無事たどり着くことができました。
私たちが知り合ったのはもう20年前以上で、アメリカから来たばっかりの私たちがやっている小さな喫茶店に彼女が取材に来たのがきっかけでした。当時は長与には外国人がめずらしくLucには取材がたくさん来ていたのですが、なんと彼女は唯一私に取材を申し込んできました。それから私たちがカフェで英語を教え始め彼女も英語のクラスに参加するようになりました。
今彼女にいろいろとどうして今の彼女に至ったかの話を聞いてみると、なんとエスタミネーで英語を習っていたことからだというのです。当時彼女が働いていた今では長崎では知らない人がいないくらい大きなケーキ屋さんのLittle Angelesにフランスから現在夫となっている彼がやってきて、英語ができる彼女が彼のお世話がかりになりそこから恋愛が芽生えたということです。なんてドラマチックなんでしょう!!
そして結婚してフランスへやって来ましたが、最初の6年は町の方に住んでいたけれども言葉の面でも人と交流するという面でも真っ暗で頭の上でいろんなことが飛び交っていて、もがいていたそうです。もともと「フランスに留学するぞ〜!」と思ってフランスに行く人が多い中、そういう時間をかけてフランス行きを準備していた人とは違って突然あれよあれよという間にフランスに行くことになって本当に大変だったと思います。ましてや英語と違ってフランス語は学校での素養もないだけに苦労の度合いが桁外れだったと思います。それに文化的な違いも相当ありますしね。
Kyokoちゃんは結婚した時に「家族のために生きよう」と決意をしたそうです。でもそれが裏目に出て、前に進むのではなく足踏み状態が続いたそうです。でも6年前に田舎に家を買うことになり現在の場所に転居。ここが一つのターニングポイントになったようです。ここでは頼る義理の家族はおらず、車を運転しないと生活ができない。ローンを払うために仕事もしなくてはならない。
「私の人生はこの田舎から始まった」
自分がやるしかない。子供達の学校の先生と交流し、お母さんたちと交流し始めたここが本当にフランス生活の転機になったそうです。
少し前にあるひとまわりも若い関西出身の日本人女性と知り合いになり、彼女と交流するにつれ、違う自分が目覚めてきたといいます。その女性曰く「気持ちを言わないと相手に伝わらない」。そして自分の気持ちをだんだん言い出したら、心のフタが開いてきたのです。今まではいろんなことを言われたら落ち込んでいたけれど、夫とケンカをし始め言い返すようになってきたら、夫も彼女を尊重しいたわるようになったそうです。
「自分はこうなんだ」と前置きをしていうようになったら、最初はケンカになるが、最後は彼がお茶碗を洗ってくれたり、お掃除をしてくれたりするようになり、「あれ?どうしたのかな?」と。昔は恋愛が前提にあったが、今は「同じ船に乗る同志」という感じでとても楽になった。拍手〜〜!これこそ夫婦の醍醐味ですよね。
私は国際結婚をしていますが、住んだところはアメリカ、日本と私には有利なところばかりです。私の姉もイスラエルに嫁いでヘブライ語という言葉を彼の地で初めて勉強し始めあまり苦労を語らない姉ですが、いつも彼女のきた道を思っていました。私の夫もしかりです。
Kyokoちゃんのきた道も決して楽ではなかったと思います。でもそれから至った今のすばらしいご家族の有り様を目の当たりにすると、彼女の苦労が報われてすべてがまあるく収まって感無量です。言葉や文化の壁って意外と重く深く、その中で本当の自分を発揮できるようになるには他人が思っている以上に大変な時間と労力を必要とします。今まさに自分の気持ちにフタをすることをやめ、いろんなことを自在にできるようになって土壌は十分に耕されてきたようで、これからが彼女の本領発揮ですね。仕事の幅もどんどん増えていくことでしょう。次回はLucとぜぜひおじゃまさせてください。そして家族のみんなと語り合いたいです❤️Merci beaucoup, Kyoko! À bientôt!